ずっと以前から抱いている私の新城論を書きたくなってしまいました。
今回『容疑者 室井慎次』では違った新城賢太郎を見ることになるかもしれないので、書けるのは今日だけかもと思うのでまたグタグタと書いてしまいます。
イッキミのゲストとして出演された筧さんが、『OD1』で新城が室井にコートを渡すシーンは「エールもあるし、ある意味決別って言う言葉も入っているかもしれない。」と仰ったというレポに私はいたく感動してしまいました。
その後の「兵隊は犠牲になってもいいのか」という台詞の言い回しも然り、このシーンでの筧さんの演技は君塚さんの描いていた脚本とは明らかに違っています。
この辺りは『OD1シナ本』で君塚さんも書いてらっしゃるし、筧さんも何度か言及されているのでファンの勝手な想像ではなく本当に違っているのだと思います。
ではあの時点で新城賢太郎は青島によって「キャリアの傲慢を打ち抜かれた」のかというと、そうではないだろうというのが私の勝手な考えなのです。
イッキミでは亀山さんや堀部さんが「改心」というこ言葉を使われたそうですが、私としては「改心」でもないと思っています。
私としては、一応あの言葉「兵隊は犠牲になってもいいのか?」は新城さんの本心の吐露だと思うんです。
あの瞬間、かつて(「歳末SP」)時間稼ぎを命じられて、犯人に銃を向けた時のことを思い出したのではないかと。
あそこで自分が撃たれたとしても、きっと「上」はSATに拠って無事犯人を確保できれば、笑い声と共に本部を去ったんだろう、と憤りと共に組織の非情を見せ付けられた想いから発した言葉ではなかったか、と解釈していました。
所詮自分はまだまだ下っぱの官僚でしかないという惨めさも感じたのかもしれません。
あれを君塚さんは「電話が切れていることを知っていて計算して言っている」というようなことを考えていらしたようですが、筧さんはそのようには演じていません。
計算ならばあんなに独り言のような小声では言わないはずですから。そのこともどこかで筧さんご自身が言ってらしたのですが、今ちょっと出所がわからなくてすみません。
ここで、決定的に室井さんと違うところは、彼はそれ故もっと「上」を目指して組織を改革しなければならないと実感しているのに対し、新城さんは「犠牲にされない立場に上り詰めねば」という思いを新たにしたであろうと思える点です。
決して改心して「下」に歩み寄ってはいないと思うのです。
それを踏まえた上で、あの「コート渡しの場」を考えると、あれは決して室井さんへのエールではなく「決別」だと思えるのです。
このことは拙ブログ
5月26日「踊るベルばら」でもちょこっと書いていたりします(^^;
筧さんが「決別」という言葉を使われたことに感動したのは、また古い話で恐縮ですが『OD1』の「サル山」で、このシーンについて侃々諤々の議論がなされた時に何度も「決別」という言葉が出てきたのです。
かいりさんのブログのコメントにも書かせて頂きましたが、「理解という名の決別」「決裂ではなく決別」という言葉も出てきて、そこに二人のキャリアへの捜査員の深い読みと愛情を感じたものでした。
筧さんもそんな議論を読んでいらして、記憶の片隅に残っていたのではないかと思ったのです。
ここから↓は『OD2』公開前に私がBBSに書いたものの引用です。
「絶対上行ってやる!」新城さんも室井さんと同じように上を目指しながら、その方法と動機は全く違っているように思えます。
室井さんが国家公務員の中でも警察を選んだのは、なんらかの事情と深い正義感の為と思えるのですが、新城さんは単に日本で最大の組織だからなんじゃないかなぁ、と思っています。
トップに立ったら部下20万人の上に立つわけですから。新城さんのそういうちょっとおこちゃまなところも好きな理由なんですけど…。
これからずっと5年ごとに映画が公開され、その度に室井VS新城の対決が見られたら、とってもうれしいのですけれど…。
そして、どちらのタイプが最終的に警視総監のポストを掌中に出来るのか?
それはこれから20数年近く先の社会情勢をも反映していく壮大な課題であると思います。
どうかそこまでずっと描き続けて欲しい。
とうとう明日『容疑者 室井慎次』が公開されます。
それを観た後で、私の新城論はまたどう変わっていくのか、それも自分自身楽しみなのです。