私と「踊る大捜査線」

2005年08月25日 14:09

なんとも捻りのないタイトルですが、一度自分の覚書としても書いておきたかったのです。
覚書ですので、長いだけで何の面白みもありません。

1996年12月30日
『'96FNS番組対抗NG名珍場面大賞 スペシャル』でNGを観たのが『踊る大捜査線』との初めての出会いでした。
この番組には織田さんといかりやさんがご出演されていたと記憶しています。
これを見ていた息子(当時8歳)が「このドラマは観てもいい?」と訊いてきたのです。
家族でみても大丈夫そうな番組でしたし、私も面白そうだと思ったのでOKしました。
彼にとって初めて観るちょっと大人の番組だったと思います。

そして家族で待ちに待った第一回放送。
1997年1月7日、1話「サラリーマン刑事と最初の難事件」。
初っ端から食い入るように観ました。
刑事ドラマとしてとても新鮮、というより私が小説で読んでいた警察物とは全く違っていて、こんなドラマを待っていたと思いました。
「刑事ドラマとして新鮮云々」と私が言えないのは、もともとあまりTVドラマを見なかったので、『太陽にほえろ!』も『西部警察』もしっかりみたことがないため比較しようがないのです。
毎週録画もしようと思ったのは、魚住係長の二度目の「健康診断~…」の台詞を聞いた時でした。
その後、もう息苦しくなるくらい室井さんに心魅かれ、焦がした鍋は三つ、お風呂のお湯の出し過ぎで大阪ガスから電話が掛かって来た(るるるコールの契約をしているので)のが二回(^^;


そしてワンクール終わってしまうのが悲しいくらい家族でしっかり観てました。
最終回放送の少し前(だったかと)、朝の番組で織田さんのクランクアップの様子が映り、亀山さんが「よかったと思われたら、是非局に続編希望のはがきなどを書いて下さい。」と仰っていました。
息子から「絶対お手紙送っておいてね。」と言われましたが、そんな勇気もなくそのままになっていました。

なんの行動も起こさないまま、でも心の中で「絶対続編あるわ。」と根拠もなく思っていました。
そしてその年に家族で観に行った『スターウォーズエピソード4 新たなる希望』で予告があったのです。
「年末にスペシャルドラマがあること、来秋には映画になること。」を知り、家族で大拍手してしまいました。

1997年12月30日
『踊る大捜査線 歳末特別警戒スペシャル』
ここで初めて「筧利夫」という俳優さんを知るわけです。
第一印象は…
「顔はめっちゃ好み。」

「室井管理官」って言えなくなるのは寂しいなぁ。
私の室井さんを田舎のサル扱いするなんて許せない!
などと思いボヤキながら観ていたら、娘が(当時11歳)、
「でも新城さんって任務に命賭けてるよ。すみれさんのお見合い相手のキャリア君とはエライ違いだ。」と言ったのです。
それで俄然新城管理官が素敵に見えて来ました。

1998年夏
踊る大捜査線の公式サイトがあることを知り、連日連夜掲示板を読みふけっていました。
そのころ娘が小6で中学受験を控えていたため、捜査員登録は我慢。
但し「この邦画史上に残るであろう映画は絶対に観なければダメ!」と11月に『OD1』はこの娘も連れて家族で観に行きました。
でもでもやっぱり二度観るのはずっと我慢。

1999年2月
合格発表を見に行ったその足で、娘と二人『OD1』二度目鑑賞。
帰って来てさっそく捜査員登録。そして「M/A対策本部」に初書き込み。
それからしばらくして筧さん主演の『西遊記』も観に行きました。

公式サイトが終わってからは、本店BBSの「サル山」から生まれた「サル山桜の森横丁」(管理人ちぐささん)でずっと踊っていました。

こうやって『OD2』『交渉人 真下正義』そして『容疑者 室井慎次』と本店が開くごとに参加させて頂いて今日に至っています。


きっかけは、子供たちだったわけです。
息子のおねだりがなかったら、このドラマを観てはいなかったかもしれないし、娘の新城賢太郎評がなかったら、筧さんのファンになっていなかったかもしれません。

室井さんに恋焦がれながらも、柳葉さんのファンになるのではなく、筧さんのファンになったのは、ちょうどその頃『西遊記』というお芝居があって、生で筧さんを観る機会に恵まれたからだと思います。
これが柳葉さんのライブとかだったら、多分柳葉さんのファンになっていたことでしょう。
あの頃、入手できる限りの一世風靡セピアのCDやビデオも買いました。

真下君が主役になり、室井さんが主役になるなんて、あの当時は考えてもいませんでした。
ずっと踊って来てよかったと思っています。
まだまだ私の熱は冷めそうにありません。
スピンオフで幕引きだなんてことがないように、絶対に『OD3』を作って欲しいです。

「榊 真央」というハンドルネーム
これを最初に使ったのは1996年、ニフティサーブの「宝塚フォーラム」でした。
でも後にも先にも書き込んだのは一回だけ。
由来は高校生の時に「もしも私が宝塚に入ったら」という他愛もない妄想から。
榊はもともとは「賢木」で、これは源氏物語の第10帖です。
「さかき」を変換しようとしたら「榊」しか出なかったので、しょうがなくこれにしましたが、「賢木真央」より「榊真央」の方が見た目がいいように思います。
でも新城さんは「賢」太郎ですしねぇ…。

オドログ「Long distance Call」
これは寺尾聰さんのベストアルバムに入っている最初の曲のタイトルを頂いてつけました。
オドログを始めようとしていた時、ブログ名を考えあぐねていたのですが、ちょうどBGMにこの曲をかけていたのです。
ここでは著作権の問題で書けませんが、この曲の二番の歌詞が好きです。
学生のころは寺尾聰さんの曲に出てくるような、そんな大人のいいオンナになりたいと思っていたものです。
っが、今は…。

以上、もしも全て読んで下さった方がいらしたら、本当にありがとうございましたm(_ _)m
そしてつまらなくってごめんさいm(_ _)m
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